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名古屋高等裁判所 昭和33年(う)699号 判決

控訴人 被告人 小島知行

弁護人 土田光保

検察官 神野嘉直

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人土田光保作成の控訴趣意書に記載するとおりであるから、ここに、これを引用する。

論旨第一、二点中、事実誤認の主張について、

被告人の原審公判廷の供述及び同人の検察官に対する供述調書(一部)、証人伏見新吾に対する原審並びに当審の証人尋問調書、及び医師赤座奨の伏見一彦に対する診断書等の各証拠によれば、被告人が昭和三三年三月二七日午前九時二〇分ころ、岐三す第三三〇号普通乗用自動車を運転して、岐阜市長森東中島一七三番地先国道二十一号線を、時速四〇粁米位で東進中、その進路前方の該国道が北に通ずる市道及び南に通ずる農道と交さする地点において、右農道に入るため、該国道を斜め東に横断しようとして、道路中央にかけ出してきた伏見一彦(当時五年)を、その約一〇米手前で発見し、危険を感じて急停車の措置をとつたが、遂に及ばず、同人を被告人の運転する自動車の前部に接触せしめて、その場に転倒させ、因つて同人の右腰部等に全治まで約一週間を要する打撲傷等の傷害を与えたことは、明らかなところである。

そこで、右伏見一彦の傷害の結果について、果して、被告人が過失の責任を負うべきものか、どうかを以下検討することとする。

(一)、先ず、原判決は、被告人の進路前方交さ点左側道路が人家等に遮ちれて、その見透しが困難であることを前提として、この左側道路附近から斜めに国道を横断しようとして、同国道の中央部に向つて出てきた右伏見一彦に、被告人の運転する自動車の前部を接触させ、一彦に対し、前記のごとき傷害を与えた行為について、被告人に対し、原判示の注意義務を認め、その過失責任を肯定しているわけである。しかしながら、原判決引用の証人伏見新吾に対する証人尋問調書、並びに当裁判所のした証拠調の結果(検証調書及び右証人伏見新吾、同岩田道子に対する各尋問調書)によれば、被害者伏見一彦は、被告人の進路前方交さ点の左側道路から、被告人の進路前方、すなわち、国道二十一号線道路中央部にかけ出してきたものではなく、この左側道路と関係なく、国道二十一号線を、被告人と同一方向に、肥桶を積んだリヤカーをひき、左手に、前記一彦の右手をとつて進行してきた同人の父伏見新吾が、前記交さ点の国道左端(北端)附近で、同国道を横断して反対側(南側)農道に入るべく、二、三分間、同国道上に、自動車の通り過ぎるのを待機したうえ、同人の左横に伴つていた一彦と別々に国道を横断しようとして、リヤカーの梶棒を右小脇にかかえたまま、右手を心もち挙げ、横断の合図をするとともに、リヤカーの方向を、やや右に転じ、自らも一、二歩右斜に踏み出すと同時に、それまで、左手で持つていた一彦の手を放し、渡れと命じ、同人が急いで国道中央部までかけ出したところ、同所で、後方(西方)から進行してきた被告人の運転する自動車に衝突したことが認定できるのである。してみれば、原判決が、伏見一彦において、「左側道路附近より斜めに国道を横断せんと道路中央に出て来た」と判示し、あたかも、同人が原判示左側道路よりかけ出してきたかのごとき事実の摘示をしていることは、当を得ないばかりでなく、原判決が、被告人の本件過失を認定する理由とした前記交さ点左側道路附近の見透しの困難であつたとの情況のごときは、一彦が、この左側道路よりかけ出して来るのを、被告人が予見しなかつた場合にこそ、被告人の注意義務を論ずるについて意味のあることであろうが、一彦において、被告人の運転する自動車の座席から容易に見透しのできる(当審検証調書参照)国道左端から行動を起し、道路中央部にかけ出してきたものである本件においては、被告人の過失責任を断ずるについて、影響のないことがらであるといわなければならない。

(二)、ところで、本件衝突直前の被害者伏見一彦の行動については、既に認定したとおりであるが、前記証人伏見新吾、同岩田道子に対する原審並びに当審の各証人尋問調書によれば、一彦を同伴していた伏見新吾は、前記国道左側において、リヤカーをひき、その左手に一彦の右手をとつたまま折から同国道を東から進行してきた自動車及び被告人の運転する自動車の前方を西から進行してきた小型自動三輪車がそれぞれ附近国道を通過し終るのを、二、三分間待機して同所に立つていたが、右小型自動三輪車の後方を、被告人の運転する自動車が東進してくるのに不注意にも全然気ずかなかつたため、前記のごとく、被告人の運転する自動車の直前において、一彦に渡れと命じ、同人をひとりで、国道中央部に向つてかけ出させたことが認定できるのである。そこで、被告人がよく前方を注視していたならば、かかる新吾のとつた行動を認識できたはずであり、同人に対し、警笛を吹鳴する等の方法により被告人の自動車の接近してくることを警告したならば、新吾において、被告人の運転する自動車の進行してくる直前において、自らは勿論、当時未だ五才に過ぎない一彦の手を放し、同人をひとりで、道路を横断させるようなことは、なかつたであろうことが考えられるかもしれない。なるほど、原審並びに当審の検証調書によれば、本件国道は、巾員八米のコンクリート舗装の直線道路であつて、被告人の運転する自動車の座席からの前方の見透しは極めてよく、ただ、被告人の運転する自動車の前方約二五米の間隔をおいて東進していた前記小型自動三輪車にその視界を遮えぎられることがあつても、この車が、伏見新吾らの立つていた前記地点を通過したところ、すなわち、すくなくとも、右交さ点の手前(西方)二五米附近では、もし被告人がよく前方を注視して運転していたならば、前示のごとく、伏見新吾が、その左側に一彦を伴い、国道左側に立つていたことを、リヤカーの積荷に殆んど遮えぎられることなく、認識できたであろうことは、否定できない。従つて、被告人が本件事故直前まで、一彦の所在を発見できなかつたというごときは、自動車運転業者としては、なんとしても怠慢のそしりを免れない。

しからば右のごとく、被告人が前方注視の義務をつくさなかつたことをもつて、本件事故に対する被告人の過失責任を肯定することができるであろうか。

(三)、ところで被告人がよく前方を注視して運転していたとしても同人が交さ点の二五米手前附近を進行していた当時においては、伏見新吾は、一彦の手をひき、リヤカーを左端によせ、その梶を東に真つすぐに向けたままの姿勢をとり、未だ国道を横断しようとする体勢になかつたことは、前記証人岩田道子の原審並びに当審における尋問調書に徴し認めるところである。しかも、被告人の運転する自動車から新吾らの立つていた場所に対する見透し関係は前認定のとおりであるから、新吾らが被告人の自動車を望見することは、同自動車に先行する前記小型自動三輪車によつて一時妨げられたときがあつたにしても、少くとも新吾らが国道を横断しようとしたころには、もはや右自動三輪車も新吾らの横を通り過ぎた後であつて、その他になんらの妨害物もなかつたのであるから、もし新吾らが、わずかに後方を振り向いて国道を一見したなれば、直ぐ後方の国道上を被告人の自動車が進行してくることを容易に発見することのできる状況にあつたことも、また明らかである。従つて、かかる場合、自動車の運転者としては、たとえ、新吾とその同伴する一彦らが、自己の進路前方の国道左端に立つているのを発見したとしても、この二人は、被告人の自動車の進行して来るのを知つて、これが通過するのを待機しているものであり、また国道を横断することがあつても、新吾は一彦を連れたまま自動車の通過後に横断するものであることを期待して、自己の運転を継続するのが通常であつて、この場合一彦のごとき幼児を同伴するおとなが、自動車の進路直前で、その同伴する幼児の手を放し、自分よりもさきに、幼児をして、ひとりでかけ出させて、国道を横断させるような無謀かつ危険な挙に出ることは、おそらくないものと信頼することは、けだし当然のことである。そして、自動車運転車としては、相手方において、急険な行動をとることが認められない限り、相手方が自ら自動車と衝突するなどの危険を回避するために適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるものであり、相手方がいつ、どのような不測の行動に出るかもしれないことを慮り、このような万一起るかもしれない稀有の危険を予見し、これに備えて、常に警笛を吹鳴し、あるいは、減速する等万全の措置を講じ、事故の発生を未然に防止すべき義務を課せられるものではないと解すべきである。そして、本件において、新吾が特に危険な行動に出る情況の認められなかつたことは、すでに認定したとおりであるから、被告人において前に見たごとく前方注視の義務をつくさなかつた怠慢があつたとしても、そのことの故に、伏見新吾ら両名が前記横断開始の行動に出る当時までは、未だ自動車運転者として、業務上の注意義務に違背する過失があつたものと、いうことはできない。(なお、本件事故が右のごとく横断を開始した新吾に対して発生したものでなく、もし同人において、一彦を同伴したまま、リヤカーをひいて本件国道を横断していたならば、本件事故の発生をみるにいたらなかつたことを、忘れてはならない。)

(四)、更に進んで、被告人が自動車運転者としてよく前方注視の義務をつくしていたならば、新吾が心もち右手を挙げ、横断の合図をするとともに、リヤカーをやや斜め東に転じ、一、二歩ふみ出し、同時に、前記のごとく同伴していた一彦の手を放し、同人に先ず国道を横断することを命じ、同人が国道中央に向つてかけ出すとき、これら両名の行動を発見することができ、衝突を回避するために、適切な措置を講じ得たのではなかろうかとの疑問がある。しかし、当審における証人岩田道子の尋問調書、及び当裁判所の検証調書によれば、一彦は、新吾が前記のごとくリヤカーをやや斜め東に転じ一、二歩踏み出すと同時に、国道中央に向つてかけ出し、一彦のかけ足で約五、六歩、時間にしては、同人がかけ出してから約一秒半の後に被告人の自動車と衡突したものであることが認められるのである。してみると、本件事故は全く瞬時の出来事であつて、被告人がよく前方注視の義務をつくしたとしても、新吾らが横断を開始した地点の漸く一四ないし一五米手前(被告人の自動車の当時の時速四〇粁は秒速一一米にあたることから換算)に接近して初めてその横断の体勢にあることを認識することができたという関係にあるのであつて、たとえ、この場合、自動車運転者において、右の事態を認識すると同時に、警笛を吹鳴し、あるいは急停車の措置を講じたとしても、現実に自動車をして急停車させるまでに必要な制動距離などを考慮すれば、果して、よく本件事故の発生を回避することができたかどうかは、甚だ疑問である。してみると、この点からしても、本件事故をもつて、被告人の自動車運転上の過失によるものと断定しきることはできない。

その他、本件において、被告人の注意義務の違背を肯定し、その過失を肯定するに足りる証拠はない。

以上の次第であるから、本件について、原判示のごとき事実を認定し、被告人の業務上過失致死の罪責を認めた原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認したものというべく、結局論旨は理由があり、原判決は、とうてい破棄を免れない。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条に則り、原判決を破棄するが、本件は、原裁判所並に当裁判所において取り調べた証拠により直ちに判決することができるものと認められるので、同法四〇〇条但し書に従い更に判決することとする。

本件公訴事実は、起訴状に記載するとおりであるが、被告人が伏見一彦に対して与えた本件傷害の結果が、被告人の過失に基くものと認めるに足りる証拠のないことは、叙上説明のとおりであるから、刑訴法三三六条に則り、被告人に対し、無罪の言渡をすべきものとする。

よつて、主文のとおり判決した。

(裁判長判事 滝川重郎 判事 渡辺門偉男 判事 谷口正孝)

弁護人土田光保の控訴趣意

第壱点事実の誤認 原判決は被告人が判示日時場所を「時速四十五粁の速力で東進中、前方交さ点左側道路は人家等に遮られその見透しが困難であるから」と認定しているがこれは全然事実と相違している。

(A) 先づ判示前方交さ点左側道路は見透し困難であるかどうかである。この点被告人は本件事故発生の当初から「何時も通つている道路であり見透しも比較的良いところ」であると主張しているのである。(実況見分調書三、事故発生当時の状況参照)なるほど、被告人の検察官に対する供述調書第二項には「向つて左側の道路はその角に人家があり、道路端近くに植込や板塀などがあつて入口附近より見透しがよく利かないところがありました」とある。然しながらこの供述は「私は現場は″それ程見透しは悪くない″と云おうと思つたのですが″道路右側の畠と比較したら見透しは悪いだろう″と質問され、″その通りです″と答えると供述調書の如く書かれてしまい止むなく捺印したものです」(第二回公判調書末尾)とある如くいかにも押問答の末記載されたように窺われる。果して見透し困難かどうかは現場の検証調書に記載すべきである。然るに検証調書は何故かこれを不問に付している。それでも現場国道は幅員約八米で田舎の道巾としては可成り広い方であり、右側は一面田畑で左側道路は人家はあるが駐在所前の角の家は道路から約一間半乃至二間離れて建つているから見透は困難でないことが推断される。弁第二号証写真の如く前方四十米の地点から現場は十分見透され得るのである。

(B) 次に速力であるが、時速四十粁と認定さるべきである。被告人の司法警察員に対する供述調書(第七項)では五十粁位とあり検察官に対する供述調書(第二項)では四十五粁位となつている。思いようでは被告人が少しでも速力を減らそうとの底意から供述したとも受けとれる。けれども被告人は右警察員に対する供述に付「私の車はプリンスでメー夕ーはマイルで表わされていて、その時二十五マイルを示していたから粁に換算すると約四十粁で走つていたことになるのですが取調べの巡査がスリツプが長いから五十粁は出していただろうと云つたので止むなく承諾したのです」とあり右検察官に対する供述に付「その供述も真意に出たものでなく前に走つている日通の小型自動車が四十粁で走つているのに私の車が五十粁で走つたら衡突する筈だから私は四十粁で走つていたと説明したのですが向うは″約四十五粁なら良いだろう″と云つてそう書かれてしまつたものです」と第二回公判調書に於て弁解している。判示は警察の五十粁が検察庁で四十五粁となり、五粁おまけして被告人の為利益に認定しているのだから異存はなかろうと云うところである。然し事実に二つはないのであるからこのような事情経過で認定されたとすればこの点の究明に欠けるところがある。被告人が約十米手前で被害者伏見一彦を発見し、危険を感じて急停車の措置を採つた事は争いないのであり、急停車の措置によるスリツプの痕跡が約九、三〇米である事も実況見分調書に徴し明かなところである。してみれば本件自動車の前輪と後輪の間隔三米を差引いた約六米三十が制動距離となる。国産自動車ならば時速四十粁で急停車の措置を採ると約七、八米が制動距離に要するのであるが(弁第一号証参照)本件自動車は機能が優秀であるから右六米三十の制動距離から時速四十粁が逆算され得る。かくの如く時速四十粁はスリツプの痕跡から科学的に実証されるし且日通自動車の制限時速が四十粁でありこの現場地点が追越の出来ないところでこの先行自動車に追随していた事も右時速認定の有力な傍証である。(証人岩田道子の証言、被告人の公判調書参照)以上の如く原判決は被告人の供述に任意性ありとするも客観的真実に反し審理不尽事実誤認の違法あり、判決に影響を及ぼす事は明らかである。

第弐点理由のくいちがい 原判決は右の如く最も重要な事実に誤認があるのであるからそれは当然証拠の関係に於て理由不備となるのであるが本件裁断にとつての前提たる過失認定の事実の採り上げ方にも齟齬がある。

即ち原判決は「単に警笛を吹鳴したのみで減速せず左側道路の安全を確認せずして漫然進行を継続した過失により折から左側道路附近から斜に国道を横断せんと道路中央に向つて出て来た伏見一彦(当五年)を約十米手前で発見し」と判示しているのである。然し乍ら本件に於て問題となるのは被害者伏見一彦が左側道路附近から道路中央に向つて出て来たのでなく前方道路左側のリヤカーの蔭から飛び出して来たところにあり、それがまぎれもなく事故の原因である。(実況見分調書第三項同図面、検証調書図面証人岩田道子、伏見新吾、林忠永の各尋問調書、被告人の司法警察員並に検察官に対する各供述調書等)何故に原判決はこの厳粛なる事実に目を蔽い場面をすり替えるのかどうにも腑に落ちざるところである。蓋し凡そ過失を認定するにはその前提に被告人の注意義務懈怠の事実を要する。従つて「折から左側道路附近から斜に国道を横断せんと道路中央に出て来た」と判示する限りは右地点が安全確認すべき注意義務の前提であるからこれを明示すべきは勿論それを証拠によつて認定するを要しそれを予見し得たか少くとも予見し得べかりし注意義務の理由根拠を明かにすべきである。この点に関する被告人の司法警察員に対する供述調書第九問答は次の如くである。問、この事故はどこに過失があつたと思われるか。答、交さ点であり、徐行し警笛を鳴らして行けばあんな事故も起らなかつたかも知れんと思い自分も注意が足らなかつたと思います。頭から本件を過失と定めてかかつて極めて誘導的訊問であるがそれはさて措き、まことに蓋然的な推測とも憶測ともつかない答えである。これでは徐行しなかつた点が注意が足らなかつたと思う、即ち過失だと思うと云うだけでどの程度の徐行を要するのか又事故が徐行によつて必ず未然に防止できたと云うのでもない。肝心の左側道路附近が何処か又それは予見したのか又予見し得べかりしものであつたか一切不明の侭である。それでは被告人の検察官に対する供述調書(第二項)はどうか「このような事故を犯したのも私は見透しの利くところまで来て危いと判つて急停車しても十分間に合う位に思つて減速するとか左側の道路の安全を確めなかつたのが手落ちでした」とあり、これによつて公訴事実の減速しなかつたことや左側道路の安全を確かめなかつたとの点に符合した供述はあることになるが前半の「見透しの利くところまで来て危いと判つて急停車しても十分間に合う位に思つて」と云うのは何の辺を指して見透しの利くところと云うのか又問題の出て来た地点やそれが予見され得たかどうかも皆目解らない。右の外本件事故の原因やそれが被告人の注意義務違反となるべき納得のゆく事実と証拠説明は何もない。それ故原判決は前記リヤカーの蔭から突如被害者が飛び出した過失認定の前提たる事実摘示を欠き又はこれを故ら歪曲して本件ではそれと無関係な他の事実即ち左側道路やその道路附近に対し注意義務違反を認定している訳でこの点で「判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがあること」となる。

第参点法解釈の違法 右の如く原判決は過失認定の前提事実を謬つているから自然これに適用すべき注意義務の内容範囲に於ても「斯かる個所を通過するときは、左側道路より人車馬が進路上に入ることは十分予想されるので」と判示しその帰結として警笛吹鳴は勿論減速徐行し若し危険ある場合は直に急停車の義務ありとなすのである。これおそらく自動車交通取締法施行令第二十九条に「見とおしのきかない交さ点は警笛の合図をして徐行しなければならない」とあり本件事故は一に徐行により防止できるとの考慮から徐行義務違反を導き出す伏線であろう。然しこの条項は一般抽象的なもので具体的状況に於てどの程度の徐行を要するかは別個の問題である。況んや本件の如くリヤカーの蔭から飛び出してきた事例には何の関聯もなく適切ではない。本件国道は現在も事故当時も速度の制限はなく乗用車の法定速度は六十粁である(証人加藤俊郎の尋問調書)この程度の交さ点はこの国道に於て無数にあるし現場附近はどの自動車も不断五、六十粁の速力を以て疾走しているのが通常である。偶々本件事故の発生を見たからと云つて被告人にのみかかる「直に急停車し以て事故の発生を未然に防止すべき」業務上の注意義務を課すべき筋合のものではない。一体本件に於て事故を未然に防止せんとせば検察官論告の如く十粁程度の減速徐行を要するのであるがかかる速度では到底自動車の用を足さない。このような非常識な解釈は交通頻繁の市街に於ても通用しないであろう。本件に於ては右の如く被告人はもともと四十粁の速力で法定制限よりも徐行しているのであるからこれを更に減速すべき義務があるかどうかが問題とさるべきである。本件は寧ろ自動車の社会的有用性に鑑み具体的状況に応じ注意義務の内容を社会的相当性を以て調節すべく交通上の危険の適正な分配の原則、相手方の交通上の適切な行動を期待してよい原則が論ぜられるべき案件である。福岡高裁 昭和卅二年五月一〇日判決裁判時報四巻一〇号二四八頁判旨(1) 「高速度交通機関の発達せる現在自動車運転者に横道路より飛び出す者に備え横丁ある場合その度毎に即時急停車をなし得る程度に徐行すべき一般的な義務があるとは解せられない」(2) 「本件事故現場附近の制限時速は三十二粁(現在は四十五粁)であり被告人は制限時速内の三十粁で左側小倉方面行電車線路上を進行していたこと、Yが突然横道路より飛出したものであり、このことを被告人が前以て知り得る地形でなかつた事実が認められるし、更に被告人の急停車の措置が適切でなかつたこと制動機に故障がなかつた事実も認められないからこれ等の点を綜合すれば被告人に本件事故発生の予見が可能であつたとは認められない」之れを要するに本件は、被告人としては日通自動車と二、三十米の間隔を保つて同一速力を以て追随し前方百米位のところから既にリヤカーの停車は気付いており且その前方約三十米の地点で警笛を鳴らしており先行車が無事側方を通過しているのであるからその儘停車している限り、自己も亦安全に側方を通過し得るものと確認したる上右側にハンドルを切り将に通過せんとしたところ、突如リヤカーの蔭から被害者側の不注意のため飛び出した為惹起された全く予期し得さる不可抗力による突発的事故である。その他原審に提出せる弁論要旨と同一なるを以て茲に之れを援用する。

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